母の命日・・・
2011年 07月 31日
7月31日は3年前に亡くなった母の命日だった。
母は朝の10時頃に死んだ。
眩しいほど鮮やかに晴れ渡った真夏の朝。
私は哀しみに暮れる暇などなく、京都から滋賀に母の亡き骸を連れて帰る車の手配、お葬式の段取り・・・と、忙しなく電話連絡に追われていた。
ただ、明るい時間に死んでくれたことは、何よりの救いだった。
最期まで、私のことを想って、そんな時間にこの世を去ってくれたのだ、きっと・・・。私は今もそう信じている。
そんな風に、3年前の7月31日をつらつらと想い出していた、丁度その時、玄関のインターホンが鳴った。
宅急便屋さんだった。
贈られてきた荷物の中身は、徳島に住む友人からの可愛い花籠だった。
メッセージカードには
『暑い日が続きますが、お元気ですか?体調、崩さないように気をつけてください』
そう書かれてあった。
私への暑中見舞いの言葉が添えられているものの、母の命日に届くようという気づかい。
本当にうれしかった。
親戚の人ですら、もう母の命日なんて忘れているだろうに・・・。
仏壇にお供えする。
するとその瞬間、私の心が明るくなった。
何故だかわからないけれど、その可愛い花かごのお陰で、母も私もとても幸せな人間に思えたのだ。
遠くに住む友人、ありがとう。
感謝しています、心から・・・
母は朝の10時頃に死んだ。
眩しいほど鮮やかに晴れ渡った真夏の朝。
私は哀しみに暮れる暇などなく、京都から滋賀に母の亡き骸を連れて帰る車の手配、お葬式の段取り・・・と、忙しなく電話連絡に追われていた。
ただ、明るい時間に死んでくれたことは、何よりの救いだった。
最期まで、私のことを想って、そんな時間にこの世を去ってくれたのだ、きっと・・・。私は今もそう信じている。
そんな風に、3年前の7月31日をつらつらと想い出していた、丁度その時、玄関のインターホンが鳴った。
宅急便屋さんだった。
贈られてきた荷物の中身は、徳島に住む友人からの可愛い花籠だった。
メッセージカードには
『暑い日が続きますが、お元気ですか?体調、崩さないように気をつけてください』
そう書かれてあった。
私への暑中見舞いの言葉が添えられているものの、母の命日に届くようという気づかい。
本当にうれしかった。
親戚の人ですら、もう母の命日なんて忘れているだろうに・・・。
仏壇にお供えする。
するとその瞬間、私の心が明るくなった。
何故だかわからないけれど、その可愛い花かごのお陰で、母も私もとても幸せな人間に思えたのだ。
遠くに住む友人、ありがとう。
感謝しています、心から・・・
by hanna1411
| 2011-07-31 23:54
| 亡き母のこと・・・