京都の美味しいお店多目のページです。たまに愛しいニャンコ、好きな音楽や映画のお話も ^・・^v    私が死んだら鳥葬にしてほしい・・・。


by hanna1411
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カテゴリ:過去の書き物( 3 )

 本当は、この記事は8月6日にアップするつもりでした。
 ですが、島根から帰ってきたばかりで余裕が無く、そのまま時間は流れ、いつのまにやら終戦記念日を迎えてしまいました。大したことは成していないのに、日々はあっと言う間に過ぎてゆきます。情けない話です。

 年々、この感覚が薄れてゆくように感じます。
 だからこそ、やはり、ここに記しておきたいと思います。
 広島や長崎の日は過ぎてしまったれど・・・。

 昔、『宝島』にコラムを連載していました。
 その多くはすでに捨ててしまったのですが、好きだった号は押入れにしまってあります。
 当時、大好きだった忌野清志郎さんが歌っていた060.gifLONG TIME AGO060.gifという楽曲にインスパイアされて書いた原稿です。(表向きは、タイマーズのゼリーさんになっていますが)(笑)
 私の原稿を読んでイラストを描いてくださっているのは、以前、ご紹介した山口マオさんです。
 
 今、読み返してみれば、やはり彼の歌っていたことは的を射ていて、私が書き綴った言葉も間違ってはいなかった、と改めて自負しています。
 
 以下、駄文ですが、御目通しいただければ幸いです053.gif  
f0209683_2173259.jpg

 うだるような暑さの中、今年もまた、広島と長崎の日がやってきます。被爆45周年の夏を前に、先日、京都では「広島・長崎から45年」と題した講演会が開かれました。

 その瞬間、爆心地からわずか750メートルという至近距離にありながら、福屋デパートの陰を走っていた市電には、奇跡的に8名の生存者がおられました。その中のお一人、米沢さんという方のお話を聞かせていただきました。

 立錐の余地の無いたった一両の車両の中にさまざまなドラマがあったそうです。他人に席を譲り、結果的に助かった人。親切な人に席を譲ってもらい、窓の近くに座ったばっかりに、亡くなってしまった人・・・なんとむごい運命でしょう。人間の肉の壁が、幾つかの命をこの世に残したのです。

 ズルリとむけた皮膚が垂れ下がり、顔があるのかないのかわからくなった人。眼球がピンポン玉のように飛び出した人。米沢さんは、私たちが写真の中でしか知らない地獄絵を、その両の目で見てこられたのです。
 
 1945年、アメリカが原子爆弾の開発に成功したとき、この地球上には、たった3発の核兵器があるだけでした。このうち、1発はニューメキシコ州のアラマゴールド実験場で最初の核爆発実験に使われ、残りの2発が広島と長崎に投下されたのです。

 私たちにとって、原子爆弾は社会の教科書に出てくる“おはなし”に過ぎません。しかし、ノーテンキな我々の考えとは裏腹に、核兵器は増え続け、現在、米ソ保有分だけでも、広島に落とされた原子爆弾の百万発分に相当すると言われています。
 テレビを見ている時も、ご飯を食べている時も、眠っている時も・・・私たちは毎日その核兵器と一緒に、この地球上で呼吸しているのです。恐ろしいね、見えない大きな力・・・。

 ちょっと昔、「核の傘」という言葉が流行りました。核兵器があるから平和が保たれているという考え方です。何故なら、核兵器のボタンを押せば全ておしまいだから・・・。
 4年前のチェルノブイリの原発事故が、それを証明しました。放射能は人間が勝手に引いた国境線など軽々と越え、遥か遠い国にまで侵入してゆきます。核兵器を使用し、たとえ戦争に勝ったとしても、生き残ることはできないでしょう。そこには勝者も敗者もないのです。

 はたして「核の傘」は信じるに値するものなのでしょうか?現在の核戦争システムは複雑化しているため、誤った操作やちょっとしたミスによって、核戦争が勃発する可能性があります。
 「××国より核ミサイルが発射された!」
 コンピューター表示スクリーンに流れた信号が部品1個の故障による誤った情報だったとしたら・・・。実際、「あわや核戦争!?」という危機が、今までにも何度となく起こっているそうです。

 知らぬが仏とはまさにこのことですね。私達は、オブラートに包まれた平和の中で、退屈なあくびを繰り返していただけに過ぎません。

 あなたは060.gifLONG TIME AGO060.gifという歌を聴いたことがありますか?私がこの歌を初めて聴いたのは、1988年12月、RCサクセションのLIVEでした。

 LONG TIME AGO 44年前 
 原子爆弾が落ちてきて 何十万人もの人が死んでいったのさ
 
 LONG TIME AGO 44年前 
 8月6日の朝8時15分 何の罪もない人が死んでいったのさ 

 LONG TIME AGO 44年前 
 人間の歴史で初めてのことさ この日本の国に原子爆弾が落ちたのさ 知ってるだろ?
 
 美少女も美男子もたった一発 顔は焼けただれ 髪の毛抜け 
 血を吐きながら死んでいくのさ
 
 LONG TIME AGO44年経った今 まだ苦しんでる人がいるのに 
 どうして原子力がそんなに大事なんだろ?

 LONG TIME AGO 44年前
 原子爆弾が落ちてきたことを
 この国のお偉い人は いったいどう考えてるんだろ?
 
 LONG TIME AGO44年経った今
 原子爆弾と同じようなものが この国に次々と出来てゆく・・・
 
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 この歌は核兵器は勿論のこと、“核の平和利用”と言われるモノに対する疑問符でもあります。“政治”という場では通用しない、けれど人間として当たり前の想いがギュウギュウ詰まっています。胸が痛むほどに・・・。

 「それでも核兵器は必要なのです」
 この世の中に、そう口にする権利を持つ人間がいるとすれば・・・それは天の太陽よりも明るい閃光に、生きながら焼かれた人々。助けを求める肉親をつぶれた家の下から救い出せず、今も尚、地獄を抱いて生き続けている人々だけなのではないでしょうか?

 広島と長崎は、修学旅行の街でも過去の街でもありません。同じ過ちを二度と繰り返さぬよう、世界中の人々に身をもって訴えかけている・・・それはきっと未来の街なのです。 

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by hanna1411 | 2011-08-15 02:27 | 過去の書き物
 昔、『○島』という雑誌にコラムを連載していました。
 音楽がメインの雑誌でしたが社会情勢にも敏感な読み物で、10代、20代の問題意識の高い若者に人気のある雑誌でした。私が大好きだったRCサクセションやブルーハーツもよく掲載されていましたっけ・・・。
 捨ててしまったものも多々あるのですが、押入れのダンボール箱に残っていた雑誌を探し、自分が20年前に書いた原稿を読み返してみました。

 写真に写るイラストは、山口マオさんが手がけてくださったものです。
 毎回、私の原稿を読んで、マオさんが自分の中で消化し、イラストをつけてくださっていました。私はいつも、マオさんがどんなイラストを描いてくださるのか、とても楽しみでした。
f0209683_19571064.jpg

 私が、丁度20年前に書いた原稿です。福井の美浜原発で起こった事故のことを書いています。
 最後に、「“その時”は10年後かもしれないし、明日・・・かもしれません」という一文で結びましたが、“その時”は20年後の“2011年”だったんですね。

 “レベル7”の原発事故なのに、あまりにも我々日本人はノーテンキ過ぎます。
 20年前にもそう発信し続けましたが、命に関わることなのに、世間の人々は無関心な人も多く、結局、大きな力には勝てませんでした。
 ただ今回は「最期の警告」だと思っています。
 今回の原発事故がうやむやになってしまわないように・・・と願いながら、もう一度、意思表示します。

 
 ~悪夢は予告なしにやってくる~(1991年筆)   
 
 あ~あ、やっぱり事故っちゃったよ。
 「何が?」って?
 原発よぉ、美浜の原発。それもギロチン破断。トホホ・・・。

 美浜原発2号機で、蒸気発生器細管から、放射能を含んだ大量の1次冷却水が漏出し、我が国の原発で初めて、緊急炉心冷却装置が作動するという大事故が起こりました。スリーマイル島のような大事故につながったかもしれない、日本で最大の事故。その割にみんなノンキですねぇ。
  
 あなたが住む街に原発はありますか?私が住む街にはありません。でも私の住む街の近く福井県には“原発銀座”と呼ばれるほど、たくさんの原発がひしめきあっています。水晶浜というとても美しい浜辺から臨むちょっと不気味な美浜原発は、どう転んでも福井の美しい青い海に似つかわしくありません。

 「蒸気発生細管はもうボロボロ」
 そう指摘されていたのは、実は美浜2号機ではなく、美浜1号機でした。2号機は順調に稼動していたはずなのに・・・。それだけに、原発推進派の人たちも反対派の人たちも、動揺を隠せないようです。事故の2日後から、関西電力は週120本流していた原発推進のテレビCMを取り止めています。

 これまでの関電の説明会で「絶対に有り得ない」と言われてきた事故です。オマケに去年の7月に、定期点検を行ったばかり。定期点検をパスしたという事は、少なくともそれから1年は絶対大丈夫というお墨付きのはずなのに・・・。“原発反対”と意思表示している人ではなくても、もう誰も信じないでしょう。
 人間だろうと機械だろうと、100%なんて有り得ません。絶対安全なんて、誰にも保証できないのです。

 以前、お父さんが電力会社に勤務しているという女の子から手紙をもらいました。

 『脱原発が成立したら間違いなく、電力会社は大損害を受けます。ものすごく個人的なわがままだけど、見知らぬ人の多くの命より、たった一人の私の父の命の方が大事です』

 私はこの女の子の考えが間違っているとは思いません。例え、この将来(さき)日本の原発が吹っ飛び、放射能を浴びて血を吐き、髪の毛が束になって抜け落ちたとしても、彼女は後悔しないでしょう。お父さんのことも原発でボロ儲けした人達のことも誰のことも恨まないと思います。でも、私やあなたは違うでしょう?

 一抹の不安を抱きながらも、誰もが自分だけはそんなメに遭わない、と、心の底でばくぜ~ん、と信じています。もちろん、この私も。だけど、何が我々にそんな不確実なものを信じこませているのでしょう?悪夢は予告もなくやってきます。
 別に脅しているわけではありません。ただ、これだけは覚えておいてほしいのです。心の中でNO!と思っていても、ソレを口にしない限り、それはYESと同じだという事を・・・。そして、その悪夢が現実と摩り替るゆがんだ瞬間、何も言わない私達は、あなたも私も被害者であると同時に、加害者になってしまうということを・・・。

 “その時”は、10年後かもしれないし、明日・・・かもしれません。 

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by hanna1411 | 2011-04-11 23:56 | 過去の書き物
 昔、雑誌にコラムを連載していました。
 その雑誌は全ど捨ててしまったのですが、押入れのダンボール箱の中に残っているものも・・・。久しぶりに部屋のかたずけをしていて、その1冊を読み返しました。
 そこには、去年の8月にこの世を去ったクゥーちゃんのことが書かれていました。私の原稿にイラストを描いてくださっていたのは、山口マオさん。猫のイラストでお馴染みのイラストレーターの方ですね。マオさんが描く猫は、昔、テレビで流れていた何かのCMでも使われていましたし、グッズもたくさん出ていました。「宇宙雑貨」にいっぱい売ってたなあ。

 実物のクゥーちゃんは こんな猫で、マオさんが描いてくださったクゥー(=クロ)は、下のイラストの猫です。勿論、違いがあって当たり前・・・マオさんは、私の文章を読んでご自分のイメージで描いてくださっていたのですから・・・。

 17年前、クゥーちゃんが仔猫を産んだ際のお話です。3匹の仔猫が生まれ、そのうちの1匹は育たず(必死で面倒をみ、病院にも通ったのですが)、もう1匹は、それから数年後にこの世を去り、最後の1匹が、去年の11月に死んだピッチなのです。イラストの親猫がくわえている仔猫は、さしずめピッチですね。ちなみにハナも当時、すでに生まれていましたが(ハナも捨て猫です)、まだうちの猫ではありませんでした。

 音楽でも文章でも同じなのですが、想いが余ると駄作になります。気持ちばかりが先走って、その流れは美しくない。この原稿も、気持ちが大きすぎて、駄文も駄文、恥ずかしい限りです。それでも、クロのことを書き残しておきたかったのです。
 実際、こうして商業紙の原稿として書き残しておいたお陰で、今、懐かしく、当時のことを思い出すことができます。細かいことは、やはりだんだん忘れ去っていました。
 写真の下に、そのお話を書いておきます。お暇のある方は、ご笑読ください。
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 5月20日、私の部屋で三つの命が誕生した。産まれた仔猫は三毛猫が2匹に、茶トラが1匹。生後9ケ月のクロはお母さんになるには小さすぎる身体をしている。破水後、クロは自分の身体から仔猫のシッポをぶら下げたまま、2時間もウンウン頑張っていた。箱の中に敷いてやったバスタオルを真っ赤な血で染め、小さなクロはちゃあんとお母さんになった。

 去年の夏、近所で産まれた野良猫4匹の内の1匹、それがクロです。黒と茶が斑(まだら)に混じった女の子で、どう贔屓目に見ても不器量な猫。(笑)そのクロが私の家に住むようになったのは3月20日のことでした。 お刺身やチーズをエサに2時間掛けてやっと捕まえることに成功したその日は、私にとっては修羅場。ドアに、襖(ふすま)に、窓に・・・。あらゆる場所に出口を求め、クロは狂ったように部屋中を走りまわります。そりゃあそうです。産まれてから8ケ月もの間、外で自由に暮らしてきた野良ちゃんです。訳もわからず急に家の中に閉じ込められたのですから、向こうだって必死です。
 「ワォ~ン!ワォ~ン!」
 なんとかして外に出ようとするクロの鳴き声が、夜更けの住宅街に響き渡ります。
 「クロちゃん、お願いやから鳴かんといて・・・」
 泣きたい気持ちを必死でこらえ、私は手のつけられないクロに一晩中、話かけました。
 「ハナスジちゃんが死んでしまったの知ってる?クロちゃんも外に居たら殺されてしまうんやで・・・」
 “ハナスジちゃん”というのは、クロと一緒に産まれてきた兄弟です。クロと同じく、黒と茶が混じった猫なのですが、鼻の所だけお化粧したように白く、鼻筋が通ったように見えることから、私と母は“ハナスジちゃん”と呼んでいたのです。

 3月中旬、私の家の庭で1匹の野良猫が死んでいました。外傷の無い変死です。そして、その3日後、庭の植え込みの所で苦しそうにうすくまっているハナスジちゃんを母が見つけました。普段なら人が近づくとすぐに逃げてしまう臆病な仔猫なのに、もうその時には動く気力さえ失せていたようです。母が急いで家に連れて入り、ストーブの前で抱いていてやると、程なく首が硬直・・・。
 「ハナスジちゃん!ハナスジちゃん!」母の懸命の呼びかけに、それでも暫くは小さな口をパクパクと動かしていたそうです。
 次の日、私は泣き腫らした目のまま、ハナスジちゃんを連れて動物病院に行きました。検査の結果、病死(事故死)ではないことが判明しました。

~中略(憶測の粋のお話なので・・・)~

 最後に生き残ったクロちゃんは、こういった経緯で私の家にかくまわれることになったのです。けれど、野良猫を家の中だけで飼うのは容易なことではありません。押入れの中に隠れるわ、ピンクのじゅうたんに黄色いウンチの線を何本も描いてくれるわ、私も母も1日中、クロに振り回されっぱなしです。そして最も被害甚大だったのは、8年間、我が家のアイドルだった雌猫チーです。
 とにかくおとなしいチーは、急に同居人が増えた精神的なプレッシャーから、ご飯も食べなくなり病院通いという始末。精神的にも金銭的にも、そのリスクは私の予想をはるかに超えるモノでした。
 とても重い荷物を背負って、憂鬱な日々が続きます。そんな頃、クロちゃんのおなかの大きさが異常なことに気づいたのです。
 “困ったなあ・・・。たくさん産まれたらどうしよう・・・”
 
 そんな私の元に足立区に住むゆみこちゃんという読者の方から、こんな手紙が届きました。
 「私には6月で3歳になる妹がいます。もしかしたら産まれてくることができなかったかもしれない妹です。兄弟が反対したから。父親が違うから。
 母は悩んでいましたが、母にとって妹の父親の存在は大きく、母は高齢出産で妹を産みました。今では兄達も妹を可愛がっているけれど、産まれたときは、皆、不満ばかり言っていました。
 どうして大人は子供を嫌うの?自分だって来た道なのに・・・。祝福されない誕生があっていいの?そんなのあって、いいわけない」
 
 “ゆみこちゃんの言う通りだな・・・”彼女の幼いまぁるい文字が、次第に涙で読めなくなってゆく私でした。
 私は今、一生懸命困ろうと思っています。厄介なもの、不都合なモノを切り捨てて楽に生きるより、大変な事も憂鬱な事もぜ~んぶ呑み込んで、それでもニコニコしていられるような大きな人間になりたい♪だって祝福されない誕生があっていいわけないんだもの。

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by hanna1411 | 2010-02-26 00:25 | 過去の書き物