京都の美味しいお店多目のページです。たまに愛しいニャンコ、好きな音楽や映画のお話も ^・・^v    私が死んだら鳥葬にしてほしい・・・。


by hanna1411
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ:亡き母のこと・・・( 6 )

母の命日・・・

 7月31日は3年前に亡くなった母の命日だった。
 
 母は朝の10時頃に死んだ。
 眩しいほど鮮やかに晴れ渡った真夏の朝。
 私は哀しみに暮れる暇などなく、京都から滋賀に母の亡き骸を連れて帰る車の手配、お葬式の段取り・・・と、忙しなく電話連絡に追われていた。

 ただ、明るい時間に死んでくれたことは、何よりの救いだった。
 最期まで、私のことを想って、そんな時間にこの世を去ってくれたのだ、きっと・・・。私は今もそう信じている。

 そんな風に、3年前の7月31日をつらつらと想い出していた、丁度その時、玄関のインターホンが鳴った。
 宅急便屋さんだった。

 贈られてきた荷物の中身は、徳島に住む友人からの可愛い花籠だった。
 メッセージカードには
 『暑い日が続きますが、お元気ですか?体調、崩さないように気をつけてください』
 そう書かれてあった。
 私への暑中見舞いの言葉が添えられているものの、母の命日に届くようという気づかい。
 本当にうれしかった。
 親戚の人ですら、もう母の命日なんて忘れているだろうに・・・。

 仏壇にお供えする。
 するとその瞬間、私の心が明るくなった。
 何故だかわからないけれど、その可愛い花かごのお陰で、母も私もとても幸せな人間に思えたのだ。
 遠くに住む友人、ありがとう。
 感謝しています、心から・・・053.gif 
f0209683_15664.jpg

[PR]
by hanna1411 | 2011-07-31 23:54 | 亡き母のこと・・・

母の納骨式・・・

 3年前の7月に亡くなった母の骨は、火葬場で2つの小さな骨壺に納められた。
 今となっては、どうして2つの骨壺に分骨したのかわからないのだけれど・・・。
 焼き場のシステムだったのかな?
 17年前に父が死んだ際は、ひとつだったはずなんだけど・・・。

 母が死んだ当初、骨になったと言えども、母の遺骨をお墓に入れることに、私は抵抗があった。
 夏は暑くて冬は寒いお墓・・・その中に母の骨を納骨する気にはなれなかった。
 お坊さんも、「好きなときに納骨すればいい。納得するまで傍に置いておいていいですよ」と寛容なことをゆってくださっていたし・・・。

 そして、3年という月日が流れ、私はようやっと、母の骨をお墓に入れる気になれた。
 第一、お墓にはすでに父が眠っているわけであって、この3年、父は一人ぼっちだったわけだ。お父さん、ごめんね。(笑)

 「墓石は手で開けられる」、とお坊さんはゆっていたけれど、お墓参りの際に試みたものの、女の力ではビクともしなかった。
 永年、雨風にさらされてきたわけだから、何か道具が無いと開かないかもぉ???
 納骨式の際に開かないと困るので、お墓を造ってくれた石材屋さんに来てもらうことにした。

 納骨式、当日、石材屋さんの若者は、私が何度も何度も必死で力を入れてもどうにもならなかった重い石の扉を軽々と開けた。(笑)

 その中に母の骨を入れる。
 「土に還る」というけれど、お墓の中には、17年前に納骨した父の骨が、今も尚、小さな山になって存在した。
 “なかなか土には還れないのね・・・”

 石材屋さんが準備してきてくださった真っ白なさらしの上に、骨壺から出した母の骨をそっと置く。
 軽い骨・・・。
 3年ぶりに母の骨を目の当たりにした私は、冷たい現実に不意に平手打ちを喰らったような気分に陥った。その現実をすっかり忘れていたのだ。
 “そうや、お母さん、骨になってしまってたんやった・・・”
 その刹那、私はハッキリそんな風に思っていた。
 鮮やかに、私の頭の中にそんな想いがテロップのように流れたのだ・・・。(苦笑)

 母の骨を父の骨の傍に置く。
 “お父さん、今日からお母さんも一緒やで・・・”

 好むと好まざるに関わらず、時の流れというものは偉大で、多かれ少なかれ、人の心に変化をもたらす。
 3年という年月の流れが、私に母の遺骨を納骨する気にさせてくれたのだから・・・。

 ただ・・・これにはオチがあって(笑)、もうひとつの骨壺は、まだ私の傍に置いてあるのだ。
 本来、もうひとつは本山に納めるらしいが、そんな遠く知らない場所より私の傍の方がいい、母はそう言うに決まってるから・・・。
 私の人生ももう少しくらいは続くはずだから、自分が元気な間は、私の傍に置いておくのだ。
 母が大事にしていたニャンコ3匹 ^・・^  ^・・^  ^・・^の骨壺の傍にね。

[PR]
by hanna1411 | 2011-07-23 23:17 | 亡き母のこと・・・

母の誕生日

 母のお誕生日、仏壇にお線香は5本。
 父と母とニャンコ3匹の分。
 仏壇が置かれた部屋にはお線香の煙が立ち込めていた。
 でも、お線香の煙は好き。
 いつまでも飽くことなく、揺らぐ煙を目で追う私・・・。

 2年前にこの世を去った母は、16年前に死んだ父と逢えただろうか?
 去年、今年、と立て続けに、私の元から消えてしまったハナとクゥーとピッチは、大好きだった母を探すことができただろうか?・・・などと、取り留めの無いことをひとしきり考える。

 晩年、迫りくる老いを感じ、心細く感じていた母に、私はよくこう言ったものだ。
 「おかあさんは、85歳まで生きるよ!」と。
 「そうかなあ・・・?」心配性の母は、いつも不安そうに生返事をした。
 「絶対、大丈夫!私が85歳まで生きさせてあげるから」
 そう言いながら、私は小さくなった母の背中をそっと抱きしめた。

 私がずっとそばにいて、母を守ってあげるつもりだった。
 いや、実際、私は母を守っているつもりだった。

 16年前に死んだ父は入院させた日に死んでしまったけれど、“母だけは納得のいく死を迎えさせてやりたい”・・・ずっとそれだけを考えて、いつも最良の道を選んできたはずだった・・・。
 骨折で入院させて命を落としてしまうなんて、予想できなかった。油断していたのだ。

 思えば、私もそれなりの年月を生きてきた。
 きっとウソもいっぱいついてきた。
 でも、私は、一番大切な人に、一番大きな嘘をついてしまった・・・。 

 お母さん、ごめんね。

 85歳まで生きさせてあげられなくてごめんね。

 嘘ついて、ごめんね。

 ごめんね、お母さん・・・。


[PR]
by hanna1411 | 2010-11-14 11:14 | 亡き母のこと・・・
 北海道では、今日、初雪が降ったのだと、ニュースが伝えています。
 まだ10月だっていうのにね。

 琵琶湖の側に在る町には、ビュービューと音を立てて寒そうな風が吹き荒れています。もしも、今、12月だったならば、私はきっと、“これは雪おこしの風だわ”と思ったことでしょう。
 冬になると、こんな風が吹き荒れた翌朝には、必ずと言っていいほど、窓の外一面、真っ白な雪で覆われているのです。

 生前、心配性の母は、少し寒くなってくると、決まってこう口にしました。
 「心細くなってきたわ・・・」と。
 そして私はと言えば、母のその決まり文句を耳にする度に、「何ゆってんのよ」とたったひと言で笑い飛ばすのが常でした。
 そんな母の弱音を歯牙にもかけない・・・それが私の年老いた母への励ましでもあったのです。

 でも本当は、私も寒い冬は苦手です。
 冬は死のイメージに近いから、それもどことなく怖いのです。
 母が「心細い」と感じていたのも、歳をとり、1年1年、死に近づいていることを感じとっていたからでしょう。

 今、思えば、心まで凍てつくような冬の寒い時節も、「心細くなってきたわ」と口にする母が居てくれたから、私は少し強くなれたのかもしれません。

 本格的な寒い冬がやってくる前に、私は自分の力で少しだけ強くなって、完全防備して、うっかり凍え死んでしまわないようにしなくっちゃ・・・。今年の冬も、去年と同じようにちゃんとやり過ごさなくっちゃ・・・。

 2010年の晩秋、吹き荒ぶ風の音を聴きながら私はそんなことを考えています。
 
 


 

 
 
[PR]
by hanna1411 | 2010-10-26 19:45 | 亡き母のこと・・・
 私の好きなバンド、HEATWAVEの楽曲の中にこんなフレーズが出てくる。
 
 ~真実(ほんとう)に大切なものは 何ひとつ 失くならない~

 もう幾度、耳にしたことだろう、このフレーズを・・・。

 そう・・・確かにそうなのだ。
 私にとって、何よりも誰よりも大切だった母は、私の中で今も尚、生きている。私が生き続ける限り・・・。とっくの昔に、その肉体は焼かれ、小さな骨壷に納まっていようとも・・・。

  “その歌詞は正論だ”と、いつも、微塵も疑う余地無く、素直にそう思える。但し、そこには条件が付く。正確には「頭では、理解できる」と表現することがより正しい。

 心というのは、頭とはまた別の厄介な生き物のようだ。
 例えば、鬱病を発症している人が、ふとした瞬間、暗闇にまっさかさまに堕ちてゆくように、とりあえず、心療内科のお世話になっていない人間である私でさえ、日々、心は揺れる。1秒前に理解できていたことが、1秒後には、心が受け入れなくなっているのだ。

 “死んでしまった母” → “永遠に失われない”・・・という思考回路が、どうしてもつながらない瞬間がある。“生きてる内が花なのよ。死んでしまったらおしまいじゃないか・・・”と。

 母の夢を見る。夢の中で、母はいつも生きている。
 そして目が覚めた瞬間、気づかされるのだ、
 “あ、お母さんは死んだんやった・・・”
 小さくなった背中を、もう一度、抱きしめてあげたいのに・・・私がどんなに泣きわめこうが、地団駄踏もうが、何がどうなろうとそれは永遠に叶わぬ夢のまた夢だ。

 “真実(ほんとう)に大切なものは 失くならない”
 この歌詞を手がけた山口洋は、100%そう思うことができるのだろう。

 いつか、いつの日にか、私もそう思えるようになりたい。
 “大切な母は永遠に失くならない・・・”
 頭と心、両方で理解することができますように・・・・。
 1分1秒、途切れることなく、そして揺るぎなく、心の底からそう思える日が来ますよーに。

 果たして、どれくらいの時間を費やせばそんな風になれるのだろう・・・?
 私の残りの人生は、そのことを確認するために生きてゆくようなものかもしれない。

 それほどまでに・・・私にとって母は掛け替えの無い存在だった。072.gif

 

 

 
[PR]
by hanna1411 | 2010-09-23 01:28 | 亡き母のこと・・・

想い出のお酒屋さん

 七条京阪に在るお酒屋さんです。
 1階がコンビニになっていて、2階がお酒屋さんとギャラリー。
 2階のギャラリーは、開放されていて、1階のコンビニで買ったものをゆっくりテーブルについて食べられるようになっています。私のブログの中でも何度かご紹介したことがありますね。

 一昨年、母がこの近くに在る病院に入院しました。
 私は毎日のように、下のコンビニで母への差し入れを買っていたのです。
 母が亡くなったのが暑い7月でしたから、私はその頃、毎日、こちらに寄っては、かき氷を買っていましたね。懐かしいです。
f0209683_1436359.jpg

 2階への階段を上がると、お酒屋さんらしい雰囲気になります。
 久しぶりに来ました。
 母が入院していた頃、いつも親切にしてもらっていたお店の方の姿を、ここからガラス越しに探します。

 あ、いらっしゃいました・・・でも、結局、中に入ることはできませんでした。ただ、お元気そうな姿を見られて、それでよかったのです。

 母が死んで、私は、こちら方面に来ることを、極力、避けて生きてきました。
 正確には、京都駅でこちら方面行きのバスを見るだけでも、気分が悪くなってくるのでした。
 いい印象の残っていない病院でしたが、それとは関係なく、私が母に付き添っていた日々、こちらのお店の方には優しくしていただきました。心から感謝しています。

 1年前、こちらでの日本酒の会に参加させていただきました。そのときも、随分と勇気を振り絞って、ここまでやってきたのですが、結局、記事にすることができず、ずっと気にかかっていました。
 次の記事で、1年ぶりに、そのお酒の会の記事をアップしたいと思います。親切にしてくださったお店の方のお写真も・・・。 
f0209683_1436464.jpg

[PR]
by hanna1411 | 2010-02-13 23:58 | 亡き母のこと・・・