京都の美味しいお店多目のページです。たまに愛しいニャンコ、好きな音楽や映画のお話も ^・・^v    私が死んだら鳥葬にしてほしい・・・。


by hanna1411
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「白洲正子~神と仏、自然への祈り~」 於:滋賀県立美術館

 現在、滋賀県立美術館にて開催されております「白洲正子~神と仏、自然への祈り」展に行ってきました。
 白洲正子(1910年~1998年)生誕100年の特別展となります。
 御在命なら100歳になられていたのですね。
 “100歳のおばあさん”・・・そう考えますと、彼女がどれほどスタイリッシュな生き方をしてきたか、ということを再認識させられます。
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 滋賀県立美術館は、美術館、図書館、埋蔵センターなどが集まった「文化ゾーン」と呼ばれる緑豊かな空間の中に在ります。
 最寄のJR「瀬田」駅からはバスを利用しないと行けない場所なのですが、逆に街中の喧騒を忘れることができる贅沢な空間となっています。(300台無料Pあり)
 私が足を運んだ日はお天気も良く、芝生の上では草野球に興じる子供たちの姿がありました。
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 この右手が県立図書館となります。
 母を車に乗せて、よくここまでやってきました。私が会社に行っている昼間、自力では外出できない独居老人となる母に、家の中で時間つぶしができるよう、何か興味が湧く本は無いかと探しに来たのです。

 母が死んでしまってから、出掛けてこなかった図書館です。
 頭上を仰げば、木々が赤く色づいていました。
 “きれい・・・”
 でも本当は、私はどうでもいいのです。桜も紅葉も、きれいなものは全て、母に見せてあげたいものでした。
 私にとっては、春の次に寂しい紅葉が美しい季節がまた巡ってきたようです。
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 鮮やかな秋晴れの日でしたが、太陽の光は夏のソレとは違い、どこか弱弱しく寂しげです。
 人の一生を“春夏秋冬”になぞらえるならば、“晩秋”は人生のどの辺りにさしかかっているのでしょうか・・・。
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 きれいに手入れされた日本庭園も在ります。
 写真を撮る前にどこかに飛んで行ってしまったのですが、池の中には1羽の黒鷺が、端正な姿でそこにスックと立っていました。それは正に1枚の絵画の如き美しい光景でした。
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 暫し、お散歩した後は、いよいよ美術館へ。
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 入り口に設置されたものより更に大きな立看が目に入り、弥が上にも展示物への期待が高まります。
 美術館の中には、白洲正子さんが感銘を受けた仏神像や宝物、旅した社寺に関わる文化財が展示・公開されています。
 仏像、神像、十一面観音像、絵巻物、舞楽面、木造の神鹿、中には高さ4メートルもはあろうかと思われる木造の毘沙門天立像も・・・。
 展示物の写真はNGなので、以下、拙い文章でしかお伝えすることができませんが・・・。 

 “白洲正子にとって、“美の原点”はどこに存在するのだろう?”・・・昔、そんな疑問を持ち、彼女の自伝を手にしたことがある。
 その中で彼女はこう書き記している。

 『富士は私にとって母なる山であり、富士山によって育てられたとゆっても過言ではないと思う。そのために美しいものにしか惹かれないという欠点を持っているが、「物の形」というものを初めて体験させてくれたのも富士山なのだから、今さらそんな贅沢を言ってみてもはじまるまい』

 彼女にとって、“美の基準”は“富士山”だったのである。
 何を見て育ってきたか・・・?
 それは人間の奥底に横たわる、何かとても重要なものを形成するような気がする。私の場合であれば、それは“母なる湖、琵琶湖”ということになるのであるが・・・。
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 そんな優れた美意識を培った白洲正子が特に気にいっていた土地が、ここ近江の地なのである。
 彼女の紀行文学書、『近江山川抄』の中で、こんな風に記されている。

 『近江は日本文化の発症の地といっても過言ではないと思う』

 更に彼女はこんな風に言及している。

 『近江の中でどこが一番、美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりと答える』    

 私にとって、長命寺は子供の頃から慣れ知るお寺のひとつである。
 そんな風にゆってもらえて、我が事のように光栄至極。(笑)

 展示物の中に、その長命寺所蔵の「長命寺参詣曼荼羅図」がある。
 長命寺の向こうには、これまた幼い頃から慣れ知った沖ノ島も描かれていた。

 実は、私、その曼荼羅図がいたく気にいったのである。日がな1日眺めていても飽きないような気がする。
 密教でゆわれるところの、所謂「曼荼羅図」に比べ、どこか可愛らしく、人間くさく、時空を超えて何ゆえかポップに見えたのだ。ぜひ、皆さんにもご覧いただきたいものである。

 これらの展示物は、白洲正子の著作から抜粋された文章と共に紹介されている。
 同じものを目にし、白洲正子本人がそれをどんな風に感じ取っていたのかわかるようになっている。

 ガラス越しにみるその小さな展示物は、大きなショーケースの一番端っこ置かれていた。それは白鳳時代に創られた、涼しげな目元の童子の顔だけの塑像だった。
 普通の展覧会なら、その童子の顔を一瞬拝んだら、次の展示物へと進んで行くのだが、それと一緒に横に紹介されている彼女の文章を目で追ってみるのである。
 “白洲正子の目線で観てみたい”

 『~その時、発掘品が並んでいるガラス戸棚のすみに美しい童子の顔首があるのに気がついた。それは無残に壊されており、不器用にツイダ傷あとが痛々しかった。が、秀でた眉の線の確かさ、唇と顎のあたりのふくよかなぬくもりは明らかに白鳳の面影を伝えていた。~』

 なるほど・・・彼女の視線を辿ってゆけば、同じ童子の顔が、気持ち違って見えてくるから不思議なものである。先ほどより、更に美しく、まるで命が宿っているかのように見えてくるのだ。

 生誕100年特別展 『白洲正子~神と仏、自然への祈り~』は、滋賀県立美術館にて、2010年11月21日(日)まで開催されています。
 皆さんも、優れた美意識を持つ白洲正子の目線で、展覧会場をまわってみられてはいかがでしょうか?



 さて、家路を辿ります。
 駐車場までの帰り道。 
 母の車椅子を押して、何度も通った道です。
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 もみじが紅くなっていました。
 確実に季節は巡っています。
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by hanna1411 | 2010-11-02 12:37 | ちょっとお出掛け・・・