3度目の海外の旅・・・
2011年 06月 05日
羽田から台北に向かう途中に見た空です。
眩いばかりの雲海ですね。
3年前の夏、母が急逝し、傷心の私を近しい人間が中国の旅に誘ってくれました。その翌年も中国に行きましたが、日々の記事のアップにかまけて、ブログでは全どご紹介できないままでした。世界遺産にもたくさん行ったのですが・・・。
父が死んでからずっと母と二人暮らしだった私は、老いた母を一人残して海外旅行に行く気にはなれず・・・。
ですから私は母の死後、生まれて初めてこの島国を出たのでした。(母は飛行機を怖がっていたので、母と海外旅行なんて考えられませんでしたから・・・)
1度目、中国からの帰路も、こんな風に真っ白な輝くような雲海が窓の外に広がっていました。
私は非科学的なことをあまり信じない人間で、“死んだらおしまい”だと思っています。私は誰かの生まれ代わりではないですし、死んだ後、誰かに生まれ変わったりもしません。“人生は1度きり”それでいいと思っています。
そんな私が、3年前の秋、このように眩く光る雲海を目の当たりにしながら思ったことは、こんな風でした。
「お母さんはこんなところにも居ない・・・」
そして、窓の外に目をやりながら、ボロボロ泣いていたのでした。
“死んだら星になる”なんて言い回しをしますが、この世を去った大切な人間の姿を追うとき、それは自分の頭上、“天”だったりします。なのに、いざ、こうして自分が“天”に昇ってみれば、そこにも逢いたい母の姿は無かった・・・。
いい大人がバカげたことを書いていますが、3年前、私は本当に飛行機の中で涙が止まらなかったのです。
羽田から、3時間半、台北の「松山空港」に到着しました。
「松山空港」・・・日本人なら「まつやま」と読んでしまいますが、向こうでは「ソンシャン」と読みます。この“ソンシャン”という言葉の響きがいいですね~。^-^
空港からタクシーでホテルへ移動。
今回、滞在したホテルは長春路という道沿いにありました。
ホテル周辺の風景です。(ホテルは写っていません)
香港ほどゴミゴミした感じはなく、日本に近い風景かもしれません。
ここを拠点にして、私が見た台北の街の風景、おいおいご紹介しますね。
眩いばかりの雲海ですね。
3年前の夏、母が急逝し、傷心の私を近しい人間が中国の旅に誘ってくれました。その翌年も中国に行きましたが、日々の記事のアップにかまけて、ブログでは全どご紹介できないままでした。世界遺産にもたくさん行ったのですが・・・。
父が死んでからずっと母と二人暮らしだった私は、老いた母を一人残して海外旅行に行く気にはなれず・・・。
ですから私は母の死後、生まれて初めてこの島国を出たのでした。(母は飛行機を怖がっていたので、母と海外旅行なんて考えられませんでしたから・・・)
1度目、中国からの帰路も、こんな風に真っ白な輝くような雲海が窓の外に広がっていました。
私は非科学的なことをあまり信じない人間で、“死んだらおしまい”だと思っています。私は誰かの生まれ代わりではないですし、死んだ後、誰かに生まれ変わったりもしません。“人生は1度きり”それでいいと思っています。
そんな私が、3年前の秋、このように眩く光る雲海を目の当たりにしながら思ったことは、こんな風でした。
「お母さんはこんなところにも居ない・・・」
そして、窓の外に目をやりながら、ボロボロ泣いていたのでした。
“死んだら星になる”なんて言い回しをしますが、この世を去った大切な人間の姿を追うとき、それは自分の頭上、“天”だったりします。なのに、いざ、こうして自分が“天”に昇ってみれば、そこにも逢いたい母の姿は無かった・・・。
いい大人がバカげたことを書いていますが、3年前、私は本当に飛行機の中で涙が止まらなかったのです。
羽田から、3時間半、台北の「松山空港」に到着しました。
「松山空港」・・・日本人なら「まつやま」と読んでしまいますが、向こうでは「ソンシャン」と読みます。この“ソンシャン”という言葉の響きがいいですね~。^-^
空港からタクシーでホテルへ移動。
今回、滞在したホテルは長春路という道沿いにありました。
ホテル周辺の風景です。(ホテルは写っていません)
香港ほどゴミゴミした感じはなく、日本に近い風景かもしれません。
ここを拠点にして、私が見た台北の街の風景、おいおいご紹介しますね。
by hanna1411
| 2011-06-05 15:31
| ちょっとお出掛け・・・