母は朝の10時頃に死んだ。
眩しいほど鮮やかに晴れ渡った真夏の朝。
私は哀しみに暮れる暇などなく、京都から滋賀に母の亡き骸を連れて帰る車の手配、お葬式の段取り・・・と、忙しなく電話連絡に追われていた。
ただ、明るい時間に死んでくれたことは、何よりの救いだった。
最期まで、私のことを想って、そんな時間にこの世を去ってくれたのだ、きっと・・・。私は今もそう信じている。
そんな風に、3年前の7月31日をつらつらと想い出していた、丁度その時、玄関のインターホンが鳴った。
宅急便屋さんだった。
贈られてきた荷物の中身は、徳島に住む友人からの可愛い花籠だった。
メッセージカードには
『暑い日が続きますが、お元気ですか?体調、崩さないように気をつけてください』
そう書かれてあった。
私への暑中見舞いの言葉が添えられているものの、母の命日に届くようという気づかい。
本当にうれしかった。
親戚の人ですら、もう母の命日なんて忘れているだろうに・・・。
仏壇にお供えする。
するとその瞬間、私の心が明るくなった。
何故だかわからないけれど、その可愛い花かごのお陰で、母も私もとても幸せな人間に思えたのだ。
遠くに住む友人、ありがとう。
感謝しています、心から・・・


阪神電車にも初めて乗ったと思うし、ここ甲子園にも生まれて初めてきました。

テレビでしか見たことが無いので、“ふぅ~ん、こんなとこなんや”って感心しきり。
でも、新しくなって、ちょっと雰囲気が変わりましたね。
昔の方が、雰囲気良かったなあ。

えっと・・・名前は・・・トラッキー君?

席に着いてびっくり!
この臨場感、圧巻!のひと言です。
阪神×中日の試合です。
全どが阪神ファンです。(爆)

いろいろ応援グッズもそろっていて、私も「はい!」って渡されました。(笑)
全ての観客が応援グッズ持って、応援してはりますからね~。
すごいです、阪神ファン♥

昔から通い慣れてはるので、ちゃんと段取りがあるようで、2回の裏やったかな?向こうが攻撃している間に、食べるものを調達。(笑)
一緒に行った料理人さんのお子ちゃまは、たこ焼きを食べてはります。

私は焼きそばをゴチになりました。

もちろん、ビール

これもご馳走になってしまいました。

前の席に居た女の子。
可愛かったです。
小さいころから、阪神グッズに囲まれてお父さんに甲子園に連れて来てもらって・・・これでファンにならへんかったら嘘ですね。(笑)

次の段取りは7回やったかなあ?
ここでジェット風船を準備するようです。(笑)

私も当たり前のように「はい」って渡してもらったので、ふくらますことに・・・。
でも、これ、意外と肺活量が重要です。(笑)

風船、飛んで行ってま~す。
きれ~~~。


試合は進みまして・・・この日は阪神が大量得点を入れ、余裕で勝利した日でした。
その勝利の瞬間に向けて、もう一度、風船を準備します。
しっかりシステムが組まれていて面白いです。

私は野球そのものよりも、どちらかと言うと、阪神ファンを見ている方が面白かったです。(笑)
すごい団結力でしたよ。(笑)

程なく、阪神、勝利の瞬間がやってきます。
皆さん、準備万端です。(笑)

生まれて初めての甲子園球場、楽しかったです。
誘ってくださってありがとう!^-^

余談ですが・・・このジェット風船は球場の外までは飛んでいかないですよね?
飛んで行って木にからまって、鳥がそれついばんで喉に詰めたり・・・っていうのを聞いたことがありますが、このジェット風船は球場の外には出ないんでしょうね。
帰り、琵琶湖大橋のたもとに在る「第一なぎさ公園」のひまわり畑に寄りました。
往きは時間が無かったもので帰りがけに・・・すでに陽は山の向こうに沈みかけていました。
昔から私のブログを読んでくださっている方なら見覚えのある風景かと思います。
春には菜の花で埋め尽くされる場所でもあります。

きれいにみんな、同じ方向を向いています。
きっと向こうの空に太陽が昇るのでしょうね。

なんだか、人間の後ろ姿のよう。
色っぽいうなじですね。(笑)

ひまわりの花も、それぞれ少しづつ顔が違う。
この子はかなり美形。(笑)
きれいな花は母に見せてやりたいものだった。
それは今でも変わらない。
だから、今日も一人でひまわりを見ていてもあんまりうれしくなくて、それどころか、ちょっと寂しい気分になったり・・・。
私は自分がきれいな花を見たいんじゃなくて、きれいな花を見て喜んでくれる母の姿を見ているのが好きだったのだから・・・。
「お母さんは、いつもはんなさんの傍に居てくれますよ」
時々、周りの人がそうゆってくれる。
でも正直なところ、母が死んで3年経っても私にはまだピンとこない。
もしも、そんな風に思うことができるなら幸せだろうな。
“お母さんと一緒に見てる”と、心の底から思うことができるなら・・・。
私にはなかなか困難な思考回路だけど、いつか、そんな風に思えるようになりますようにー♥

「放射線の健康への影響」参考人説明より児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)
上記リンクのYou Tubeをぜひ、ご覧になってください。
理路整然と話す児玉教授が如何に正論を口にしているか。
教授の怒りに震える声がどれほど厳しい現実を物語っているのか。
そしてこの国を牛耳っている政治屋の方々は、今までいったい何をしてきたのか???という現状を改めて考えさせられます。
昔から変わっていませんが、どうして日本人は怒らないのでしょう?
“我慢”には、“しなくちゃいけない我慢”と、“してはいけない我慢”があるのです。
我々が腑抜けなほど従順で、問題意識が低ければ低いほど、政治屋の先生方の思うツボなのです。
私には子供がいないけれど、これからもこの島国で子供を育てていこうと思っている方々には、問題意識を持って欲しいと切に願います。
サンドウィッチと珈琲のお店です。

実は以前も1度、ブログでご紹介したのですが・・・内装も同じなのですが・・・なんか違う。
前にご紹介したときは、ガレットのお店だったのです。

ところが、メニューにガレットが無いのは、どうして???
と思いつつ、ホットサンドと・・・珈琲ではなく、ビール。
お昼からビールというのは、私らしいと言えば私らしいですが。(笑)
コロナは、若いころ、よく飲んでいたのですが、最近はたまにしか飲む機会がありません。

中身はこんな感じです。
おいしゅうございました。^-^
さてさて、どうしてお店のメニューが変わったかと言いますと、オーナーが変わったからなのです。
なにせ、1度しか来たことがないお店なので、お店の方が変わってらしたことに気がつかなかった・・・。(・・;)
今度のオーナーは、以前、伊豆でペンションをなさってたのだとか・・・。
とても楽しいご夫婦で、お話が弾みました。
ご馳走様でしたぁ~♪

今年、初夏に私自身も台湾に行ったのですが、結局、日々の出来事をアップするのに精一杯で台湾の旅のお話が尻切れトンボ状態に・・・。
そういえば、去年、一昨年と中国に行き、世界遺産もいっぱい観たのに、全くブログ上にお目見えしていません。(・_・;)
というわけで、とりあえず、今年、初夏に訪れた台湾の風景は少しでもご紹介せねば・・・。
先ずは、着いた日の翌日に行った、日本人旅行者にも有名な「行天宮」です。

運悪く、台風が近づいていて、雨模様でした。

ここは個人の資産を投じて、半世紀ほど前に建立されたそうです。

参拝者のために備品も充実していました。

漢字の国なので、なんとな~く、意味もわかるような・・・?
あくまでも、なんとな~く、ですが・・・。(~_~;)

さすが台湾。
なんでも色合いが鮮やかです。

確か、土曜の朝でした。
土曜だから、こんなに人が多いのか?週末じゃなくても同じなのか・・・?
左を見ればこんな感じで・・・。

右を見ても、こんな感じで・・・。
なので、この真ん中を歩くのは派手がましくて、どうしたらいいものやら・・・?

なにせ、信仰心の薄い日本人(私などは特に)ですし、邪魔をしてはいけません。
これもかなり遠目からコンデジズーム。(爆)


お供え物も、色鮮やかで、日本のそれらとは少し雰囲気が違います。



邪魔にならないように・・・と身を低くして歩いていたりしていたからか、明らかに外国人だと察知されていたようで、ふいに知らない方が話しかけてくださいました。そして私の腕を引いて、自分に付いてくるように・・・とゆってくれてはるようなので、素直にその方に付いていくことに・・・。
どうやら、この行天宮のことを教えてあげようと、私のために日本語で書かれたパンフをもらいに行ってくれはったのでした。
お話を聞けば、神戸にもお家があるそうで・・・。
じゃあ、私が日本人だってバレバレですね。(苦笑)
台湾の方は親日家が多いようですが、過去の歴史を鑑みれば、本当に有難いことだと感謝するのみです。
お名前も存じ上げませんが、ご親切にありがとうございました。^-^

四条寺町のバス停でバスを待っていると、そこに日本人ではないカップルが・・・。言葉はわからないけれど、二人の会話でどうやら京都駅に行きたいのだということだけはわかった。
行き先によって、バス停が微妙に違うので、それを判断するのは外国人には難しいだろう・・・そう考えた私は、尋ねられたわけでもないのだけれど、「京都駅に行きますよ。^-^」と伝えた。(勿論、言葉は通じないけれど、なんとかなるものなのだ)そして「私も一緒に乗りますから」と、伝えた・・・つもり。(笑)
程なく、京都駅行きのバスが来たので、「これに乗りますよ」と、身振りで伝え、先に乗ってもらって、私はその後に続いた。
バスの中で話をしていてわかったことは、彼らが台湾からきた旅行者であることだった。そして、「私もこの前、台湾に行ったんですよ」、と伝えた。(なんとか伝わった)(爆)
どこに帰るのか心配だったもので地図を見せてもらうと、どうやら西本願寺のところに在るホテルに戻るようだった。京都駅から西本願寺に行くバスに乗り換えなければならない。
日々、京都に居る人間でさえ、バスの路線をすべて把握しているわけではない。私は停まっていたバスの運転手さんに「西本願寺行き」のバス乗り場を確認し、彼らをそこまで案内した。
5月の末に台湾に行ったとき、色んな人に親切にしてもらった。
東北大震災の義援金も、台湾からは信じられないくらい多額のお金が日本に贈られている。
有難いことだな

“一期一会”・・・でも、忘れ去ってしまいたくなかったので、別れ際に写真を1枚。
ブログに載せることも了承してもらった。
いつかまた、どこかでお目に掛かれれば・・・と願う。
私と彼らの会話が正しく成立しているならば、彼らは新婚旅行で日本にやってきたはずだ。
こんなひどい状況の日本に来てくれてありがとう。
そして、いつまでもお幸せに・・・♥
向从台湾两位
上次能遇见很高兴。
请好不容易写了邮件地址遗失了。
从这边不能取得联系。
对不起。
并且不知不觉能遇见就好了。

20分ほど待ってたけど、“また後で来よう”と思って時間つぶしに・・・。
その後、「ルインズ」のちかちゃんから電話があって、その日は用事があって開店が遅れたのだとか・・・。(ご丁寧にありがとう♥)
というわけで、再度、「食堂ルインズ」へ♪。

先ずはビール。
ちかちゃんが使ってたグラスが可愛かったので、一緒にパチリ。

焼きロールキャベツです。
絶対に、家で作らなさそうなものをオーダーします。(笑)

チーズとおかかとたまねぎ。
日本酒でも合いそうです。

ワインはちかちゃんにゴチになりました。
ありがとう~。
毎度のことながら、いつも楽しいお友達であふれている「ルインズ」さん。
この夜も、偶然、私が昔から好きな日本酒の蔵元さんのお友達がいはったり、話が弾みます


バジルいっぱいのピラフも食べました。
写真は無いのですが、この後、久しぶりにバーボンソーダを1杯。
飲めてご飯も食べられるカフェは重宝しますね。
スタッフの皆さん&ご一緒させてもらったお友達、楽しい時間をありがとう。
また、顔出します。

今となっては、どうして2つの骨壺に分骨したのかわからないのだけれど・・・。
焼き場のシステムだったのかな?
17年前に父が死んだ際は、ひとつだったはずなんだけど・・・。
母が死んだ当初、骨になったと言えども、母の遺骨をお墓に入れることに、私は抵抗があった。
夏は暑くて冬は寒いお墓・・・その中に母の骨を納骨する気にはなれなかった。
お坊さんも、「好きなときに納骨すればいい。納得するまで傍に置いておいていいですよ」と寛容なことをゆってくださっていたし・・・。
そして、3年という月日が流れ、私はようやっと、母の骨をお墓に入れる気になれた。
第一、お墓にはすでに父が眠っているわけであって、この3年、父は一人ぼっちだったわけだ。お父さん、ごめんね。(笑)
「墓石は手で開けられる」、とお坊さんはゆっていたけれど、お墓参りの際に試みたものの、女の力ではビクともしなかった。
永年、雨風にさらされてきたわけだから、何か道具が無いと開かないかもぉ???
納骨式の際に開かないと困るので、お墓を造ってくれた石材屋さんに来てもらうことにした。
納骨式、当日、石材屋さんの若者は、私が何度も何度も必死で力を入れてもどうにもならなかった重い石の扉を軽々と開けた。(笑)
その中に母の骨を入れる。
「土に還る」というけれど、お墓の中には、17年前に納骨した父の骨が、今も尚、小さな山になって存在した。
“なかなか土には還れないのね・・・”
石材屋さんが準備してきてくださった真っ白なさらしの上に、骨壺から出した母の骨をそっと置く。
軽い骨・・・。
3年ぶりに母の骨を目の当たりにした私は、冷たい現実に不意に平手打ちを喰らったような気分に陥った。その現実をすっかり忘れていたのだ。
“そうや、お母さん、骨になってしまってたんやった・・・”
その刹那、私はハッキリそんな風に思っていた。
鮮やかに、私の頭の中にそんな想いがテロップのように流れたのだ・・・。(苦笑)
母の骨を父の骨の傍に置く。
“お父さん、今日からお母さんも一緒やで・・・”
好むと好まざるに関わらず、時の流れというものは偉大で、多かれ少なかれ、人の心に変化をもたらす。
3年という年月の流れが、私に母の遺骨を納骨する気にさせてくれたのだから・・・。
ただ・・・これにはオチがあって(笑)、もうひとつの骨壺は、まだ私の傍に置いてあるのだ。
本来、もうひとつは本山に納めるらしいが、そんな遠く知らない場所より私の傍の方がいい、母はそう言うに決まってるから・・・。
私の人生ももう少しくらいは続くはずだから、自分が元気な間は、私の傍に置いておくのだ。
母が大事にしていたニャンコ3匹 ^・・^ ^・・^ ^・・^の骨壺の傍にね。